岩倉市民吹奏楽団

Director's BOYAKing

6.My Music Life (その2) 「指揮のきっかけ」(2000.11.29)


「中学校は、市でも有数のマンモス校でした(1学年が14クラス)が、吹奏楽部など はありませんでした。もう四半世紀以上も前の話なので、今思うと、その時代はまだ どこでも吹奏楽はあまり盛んじゃなかったのだと思います。

合奏部と合唱部があったので、2学期に合奏部に転部しました。アコーディオンとピ アノとエレクトーンとコントラバスという編成でした。それに、フルートやトランペ ットを吹ける生徒がたまたまいれば、そういうのも加えるという、まあ、あまりこだ わらない部だったようです。
私も何でもよかったのです。聴くだけでなく、自分でも音楽に参加してみたいという 思いが募って、飢えていたので。。。

部員はピアノやエレクトーンを小さいころから習っている子ばかりで、習っていない 男子1名がコントラバスを弾いていました。私にもコントラバスをあてがわれまし た。このヴァイオリンと同じ姿をした楽器が自分の手元に来たときは、こんなことが あってもいいのだろうかと、驚異に思いましたね。

その時就任したばかりだった2年生の部長が、今私と一緒に暮らしている女性なので すが(・・・・)、これから話そうとするのはその部長のことでなく、その前任の3年生 の部長のことです。
その前任の部長をBくんとここでは呼んでおきます。

Bくんは、私が入部するとほとんど同時に、来年は部長になって指揮するように、と 決めてしまいました。そして、休日に楽器屋に連れて行き、指揮棒を買ってくれて、 毎日曜日に自宅に呼んで指揮の基本形のレッスンをしてくれました。
3ヶ月くらい通ったのでしょうか。その間に彼はいろいろなことを教えてくれたので すが、ドヴォルザークの「新世界より」の話が、1番記憶に残っています。「新世 界」の第2楽章の中間部が1番好きだというのです。この中間部は、有名な「家路に て」のメロディーにはさまれた、別のメロディーの部分です。
彼は曲を聴かせ、スコアを見せながら、メロディーがきれいなのはもちろんだけど、 裏でやっているチェロとコントラバスのピチカートの伴奏や、トレモロに変化する伴 奏を賞賛して、帰るときにはスコアを貸してくれました。オーケストラのスコアを手 にした初めでした。そして、主役のメロディーの裏で、それを引き立たせるためにど んな楽器がどんな役割をしているかに注意を払い始めた最初でもありました。
やがて、スコアを見ながらオーケストラの演奏を聴き、手を動かすのが習慣になって しまいました。
(すみません。さらに続きます)