Director's BOYAKing
9.「海の上のピアニスト」について(2000.12.29)
今夜映画を観ました(レンタルで)。
以前サントラ盤を聴き、今夜映画も観て、この編曲はすごいぞ、と感心しました。
すごい編曲というのはどういうのかというと、原曲を凌いでいるということです。
もとの映画音楽よりも映画音楽的なのです。
この編曲では、前半の「愛を奏でて」から後半の「ピーチェリン・ラグ」に入る前に、
「ラグ」のメロディがなーんとなく割り込んできます。
それが速くなってちょっと存在感を示し始めたと思ったら、
「ラグ」が本格的に始まるという手法を使っています。
映画の画面が目に浮かぶような手法ですね。
練習しながら描いていたイメージは、海の風景がしだいにぼやけていって、
一転して豪華客船の中のパーティーの場面へ、というものでした。
さらに、「ラグ」の後半に前半のメロディーが割り込んできます
。
楽隊は快活に演奏を続けているし、客もダンスに熱中している中で、
主人公のピアニストひとりが密かにロマンスの思い出に浸っている、
な~んて場面まで思い描いていたものでした。
こういう音楽的効果というものを想定してしまうと、
ますます原作が気になります。
勝手に思い描いているよりももっといい場面かも知れないからです。
でも、サントラ盤を聴いた限りでは、単なる別々の曲に過ぎませんでした。
もちろん、映画にもこの編曲のような気の利いた場面はありません。
さて、こうなるとどうするかというと、
編曲から来るイメージを大切にしたいと思います。
映画のストーリーとは別に、さっき書いたイメージで演奏することにしましょう。
主人公は海を眺めながら思い出に浸っているのです。
柔らかく揺らめく海の景色に、淡い思い出が二重写しに描かれる。
やがて、主人公は自分の仕事に気づいてパーティー会場に向かいますが、
海は相変わらずゆったりと夕日を映して揺らめいています。
その海の景色がだんだんとぼやけていったかと思うと、
場面は一転して華やかなパーティーの場面に移り、
ダンスを楽しむ客や、食事を楽しむ客の入り混じる陽気な光景。
でも、主人公の目には、ふとそのパーティーの光景の中に、
思い出の女性も踊っているような、そんな姿が映るんですな。。。
ふと忘我の時間に支配され、「ラグ」も耳に入らなくなってしまうのですが、
それを断ち切るように「ラグ」は終結部分に入り、我に返る。。。