岩倉市民吹奏楽団

Member's music life

02.職長の音楽人生(2000/04/17)

第17回の定演で、『チャージ!』を演奏した時、作曲者インタビューで トークしたのでご記憶の人も多いと思いますが、その後入団した人から 吹奏楽を始めたきっかけをよく聞かれますので、詳しくご披露いたします。

僕が吹奏楽というものを初めて知ったのは高校に入学した時だった。 当時、中学校には吹奏楽部が無いところが多く、僕の通っていた中学校も 郡部だったので普及が遅れていたらしく、無かった。

新入生歓迎会でクラブ活動の紹介が行われ、吹奏楽部が演奏していた。 「へえ~、高校ではオーケストラがあんのか。」ぐらいなカンジで まったく入るつもりはなかった。絵を描いたり、物を作ったりするのが好きで 小・中学校ずっと美術部だった僕は、やっぱり高校でも美術部に入部した。

5月頃だったか、放課後教室にいると、すっげえおっかない先輩達が7・8人、 ゾロゾロ教室に入ってきた。みんなダボダボのズボン(通称ボンタン)を履き、 45度メガネや鬼ゾリ、眉毛なし、アイパーなど気合の入ったハイスクールライフを 謳歌してるような先輩達だ。 (たぶんクソ生意気な一年生を、ボコにしに来たんだな)と思っていたら 僕の机の周りを取り囲むではないか!我が心臓に稲妻が走った。

「おー、コラ。おメー、ピアノ弾けるだらー?」 7センチはあろうかと思われるハイカラーに吹奏楽部のクラブ章を付けた 鬼ゾリ&口ヒゲ先輩が聞いた。ドコでそんなん聞いてきたんだ~!? 「え?・・あ、あの・・・は?・・・」 「あとで部室来いや。ええな、ああ?」 それだけ言うと鬼ゾリ&口ヒゲ先輩はポケットの中の小銭をチャラチャラさせながら 教室を出ていった。他の45度メガネとかアイパー先輩達もゾロゾロ引き上げて行く。 ビビッた・・・!。思いっきしビビッた!行かんと殺されるかもしれんっ! 超ダッシュで掃除を終わらせると、ソッコーで部室へ走った。

「おー、来たか。このノートに名前書けや」 鬼ゾリ&口ヒゲ先輩が言った。名前を書くと、それは部員名簿だった。 「おメー、楽器何にすんだ?」 (はあ?なに言っとんの、このオッさん!?) 「あ、あの・・・美術部に籍があるので困るんですけど・・・」 「おー、それはオレらで責任持って消しといたるで、何も心配するな」 100円ライターの石をチッチッと鳴らしながら先輩は言った。 もうアカン。ここでゴネたらこの先輩、きっと東宝映画の大魔人のように急変して 暴れ出すに違いない。諦めて入部する事にしたが、困った事に楽器が全然わからない。 唯一知ってた楽器名を言った。 「じゃあトランペットやります」 「ペットか、ペットは今、空きがないんだわ」 「じゃ、テレビでよく見るヤツ。キンキラキンでS字の形したやつです」 「おー、サックスか。それも今ねーんだわ」 「・・・・・あとわかりません」 男子校だったせいか、人気のある楽器はどうしても偏ってしまうらしく、僕の知っている 楽器は全部空きがなかった。はたして先輩は部室の奥から真っ黒けの棒みたいな 楽器を持ってきた。 「これ吹け。絶対イイで」 何がイイのかわからないが、僕の担当楽器はその日からクラリネットになった。

とても音楽を奏でる風体とは程遠い先輩だったけど、実はすごく面倒見のある先輩だった。 いつも練習帰りにカップラーメンをおごってもらったし、吹奏楽のレコードを何枚も貸してくれた。 Eupが担当だったが、すごくウマかったのを憶えている。鬼ゾリ&口ヒゲでハイカラー、 洋ランにボンタンで裏地には唐獅子の刺繍(当時、最高級のオシャレ)黒のエナメルを 履いて、足はガバッと160度ぐらい開いてEupを構える。 まさに不気味ともいえる光景だが、未だにアマチュアでは、あの先輩を超える音を聴いたことがない。 いまどうしてるのかなあ。 あの先輩がいなかったら、今の僕はなかった。 ・・・ただ、合奏中に窓のところへ行き、「ぐが~っ、ぺっ・・・!」とタンを捨てるのは やめて欲しかったな。 それとパチンコで勝った時に、ニコニコしながら、「まあ、持ってけや」とマイルドセブンをくれるのも やめて欲しかった・・・